「青臭い雑誌ができました」

はじまりは、2013年2月ーー。文字通り「働きながら考える」若者たちによって、リトルプレス『WYP(ワイプ)』が創刊されました。一般的に雑誌は「出版社がつくるもの」ですが、「WYP編集部」は出版社のなかの組織ではなく、一般企業に勤める会社員5名(当時。現在については後述)。

業務後や休日に集まって制作をつづけ、さまざまな国の「ふつうの人」の生き方を紹介します。2013年創刊の『Vol.0』はインド、続いて2017年発行の『Vol.1』ではデンマークの「働く」を取材しました。

左から、WYP『Vol.0.5』、『Vol.0』、『Vol.1』

『Vol.0』と『Vol.1』の間につくられた、番外編『Vol.0.5(画像:左)』のテーマは「日本」。絵本作家、写真家、NGO職員など、様々な職業の20代9名のインタビューをまとめています。同誌は、渋谷ヒカリエ8Fの展示スペース「aiiima(アイーーーマ)」で、「働く“合間”に雑誌をつくる展」として公開制作を行った1冊。「雑誌の制作過程を展示しながら、来場者とともに雑誌をつくる」という稀有な制作過程が注目を浴びました。

来場者はペンを持って、壁に貼られたドラフト版の記事に直接「コメント」を入れていきます。期間中は何度もその記事の周りに記事への感想が反映され、2週間の展示の最終日には「新しい雑誌」が出来上がるのです。

活動を始めてから約7年で、出版したのは3作。おそらく「出版社」では収益の構造から実現できず、「社会人の趣味」ではコミットメントが足りなくてできない、会社員が「複業でもなく、趣味でもない手段」でなければできなかった雑誌でしょう。

当時サラリーマンだった編集部員は4人とも会社を辞め、今ではそれぞれの人生を生きています。ある人は広島で農業を始め、ある人はアフリカ大陸のセネガルへ移住しました。逆説的ですが、「雑誌が編集部員の人生を変えた」と言えそうです。

今回HARESが取材したのは、リトルプレス『WYP』の編集長・川口瞬さんと編集部員の鼈宮谷千尋(べっくやちひろ)さん。仕事でも趣味でもない、「働く“合間”でつくる雑誌」のこれまでと、これからを伺いました。

「なぜかモヤモヤする。でも、なにをすれば…」社会人3年目の「等身大」が雑誌に宿る

ー川口さんはWYPの『Vol.0.5』が創刊されたとき、「青臭い雑誌ができました」というタイトルのブログ記事を書いていましたよね。自分たちがつくった雑誌を「青臭い」と思ったのはどうしてでしょうか?

川口:なんか、当時は「迷っていた」んですよね……。26歳は、社会人3年目。ちょうど会社員としても仕事に慣れてくる頃です。後輩もできたし、仕事にやりがいがないわけではない。でも心のどこかで、「ずっとこれでいいんだろうか」と思っている自分がいる。「なぜかモヤモヤする」そういう時期だったんです。ただ、それはもしかしたら20代後半の人たちがみんな一度通る道かもしれないと思って、歳をとったときに読み返して恥ずかしくならないよう(笑)、あえて自分からそう書いたんです。

鼈宮谷:私も含め、WYPの編集メンバーは、少なからず器用貧乏なのを自覚していました。平均点は取れるし、なんとなく上手くこなすけど「どうしてもこれをやりたい」と燃えていることはない。20代は自分の可能性を捨てきれるほど年をとっていない。「何かにはなれるだろう」と思っているけど、目の前の日常からは「その未来」になりそうな気配がなかったりする。

川口:心のどこかで今の状況に「これじゃない」と気づいている。でも、「今あるものを放り出して、なにで生きていくか」はわからない。

だから、普段働いていると接することの少ない、サラリーマン以外の職業の人たちにインタビューして、働き方を探りました。「Vol.0.5」には、「すごく迷ったけど、自分たちなりに見つけたものはこれです」というメッセージが込められています。

ー「Vol.0.5」のなかで、インタビューする人たちの基準は「著名人ではないこと」と「これから一緒に何かしていきたいと思えること」だと記していましたね。

鼈宮谷:雑誌をつくるにあたり、かっこよく見せようと思えば、見せることができると思うんです。でも背伸びはせず、私たち目線の「迷ってます」という感情の揺れを見せてもいいんじゃないかと。

川口:自分たちのような「なぜかモヤモヤする会社員」はたくさんいると思っていて。いわゆる「すごいこと」を成し遂げた人は、未成熟な当時の自分たちからはイメージしづらい。だから、まだ「道半ばの人」に話を聞きたかったし、それを伝えたかったんです。

展示しながら、読者の横で「新しい雑誌」をつくる

ー「Vol.0.5」ではヒカリエで展示しながら、リアルタイムで雑誌をつくっていましたよね。

川口:2013年8月、当時青山にあった本屋「ユトレヒト」に「Vol.0」を置いてもらえないか営業しに行ったときのことでした。たまたまユトレヒトのメンバーがヒカリエの展示スペース「aiiima」をディレクションしていたんです。そこで、「空いている期間があるから、使ってみない?」と声をかけてくれた。それを受け、一週間前に急遽「使用すること」だけ決まりました。

最初はaiiimaで「公開で編集会議でもしようか」と編集部員と話していたんですが、ふと「その期間で一冊、つくってしまおう!」と思いついて(笑)。「aiiima=合間」の文字になぞって、「働く“合間”に雑誌をつくる」をコンセプトに、「展示しながら制作する」ことを決めました。

鼈宮谷:aiiimaの会場でインタビューして、1〜2日くらいで記事を書いてパネルに展示し、来場者に記事の感想や意見を書き込んでもらう。インタビューした人数は9人で、期間の最後の方は編集部がインタビューする横で来場者に同時にコメントしてもらっていましたね。

ー「読者の感想や意見も含めて1冊の雑誌にする」というつくり方は初めて聞きました。実際、やってみた感想はどうでしたか?

川口:すごく楽しかった。社会人になってからの「部活」のような感じで、会社が終わってヒカリエに行くのが、毎日楽しみで仕方なかったです。

鼈宮谷:思った以上に来場者とのコミュニケーションを取りながらつくれたんです。私たちのことを知らない人たちが、つくった雑誌やその考えに対して、しっかりとコメントを書いてくれる。本音を言うと、こんなにびっしり書いてくれるなんて思っていませんでした。

何人くらい来たんだろう……。数百人は来ていました。今思えば、もっとメディアに注目されても良かったと思います…….(笑)。

ーその後、編集部の皆さんは海外に行ってますよね。『Vol.0.5』で影響された部分があったのでしょうか?

鼈宮谷:Vol.0.5の存在は私のなかで大きいものになりました。私はそれまで「これができる」とか「これをどうしてもやりたい」というのがなかったんですが、インタビューを通じて「やりたいことを見つけてやっている人」が同世代にいるのをリアルに知りました。

そういう人は、世間からすると「夢追い人」で、社会的な地位が現状なくてもリスクをとって頑張っている。話を聞いて、「自分ももっとリスクをとってもいいかもしれない」と思えたんです。

川口:もうほんとにそう。Vol.0.5の「あとがき」にも書いたのですが、「なんでもやっていいんだ」と思ったんです。

インタビューした人たちはシンプルに自分よりもリスクを取っているし、むしろそれは今まで自分がしていなかっただけで、その人たちの目から見れば「普通」なんです。その後、僕も語学留学をしたりヨーロッパに行ったりするんですが、理由は「シンプル」でいい。

編集部でシェアハウス「暮らしと仕事を分けない」

ーWYPの制作を通じて見えてきた、今のところの自分たちの働き方への「答え」はありますか?

川口:Vol.0.5を発行する頃まで、編集部の3人でシェアハウスをしていたんです。「楽し荘」って名前をつけて(笑)。WYPのイラストを描いてくれているイラストレーターのアラタ・クールハンドさんに「面白いものをつくりたいなら、面白い生き方をしなくてはいけない」と言われて、3人で一緒に住み始めました。

それまで僕は「生活と仕事は分けるものだ」と思っていました。大学を卒業したら「社会人」というライフステージ、つまり仕事を面白くするしかないと思っていて。でも本当は、生活の方も面白くできる。自分のなかで「シェアハウス」という新しいステージがひらけたんです。毎週日曜日に、みんなでこたつを囲んで編集や校正をしていました。本当に楽しかったなぁ……。

鼈宮谷:WYPは「仕事」でも「趣味」でもないから、どこまでも品質を突き詰めて雑誌をつくることができるんです。『WYPの「W」のフォントはどれにするか』とか「この文字はひらがなかカタカナか」という微細なところまで「それを選んだ理由」を何度も話し合って考えていきます。「ああでもない」「こうでもない」と言いながら、良いものができていく「過程」自体に楽しみがありました。

鼈宮谷:あと、WYPの販売を通じて、「健全な仕事のあり方はこういうことだ」と思えるようになったんです。正直会社員をしていた頃は、法人を相手に仕事をするなかで「こんなにお金をもらっていいのか?」と疑問に思うこともありました。騙しているわけでもなんでもないのですが、ある種、「情報の非対称性を使ってお金をいただいている」ように感じてしまい、心から満足できないこともあったんです。

そうではなく、自分が「本当にいい」と思ったものをつくり、その対価としてお金をいただきたい。そういう想いが芽生えるようになったのはWYPをつくるようになってからでした。

一番の価値は私たちが『「良い」と思うもの」』をつくることで、本当に共感できる人と一緒にいられる時間が増えるようになったことなんです。
「この人みたいな生き方良いな」と思っている人に、インタビューを通じて会いに行けることや仲間になれること。後付けですが、それが「WYPをやってよかったこと」だと思います。

雑誌が編集部員の「ライフログ」になる

ーWYPは今後、どんな雑誌になっていくのでしょう?

川口:これからの形はまだ決めている最中ですが、「編集メンバーの今」について発信していくのも良いかもしれないと考えています。かつては全員会社員でしたが、僕は地方で出版社を起業し、鼈宮谷はフリーランスに。他のメンバーもセネガルに移住したり、広島で農業をやっていたりと個性溢れる人生を選択しています。

鼈宮谷:川口くんも私も、子供が生まれてまた少し状況が変わりました。これから子育てが始まるので子育てしながら面白いことをやっている人をインタビューしたりとか。

川口:30年後に「当時の若い人はこういうことを考えていたんだ」と振り返って見るのも面白いですよね。WYPが大事にしていることは、「等身大」であること。編集メンバーの状況に合わせて、媒体の方針が変わっていくことが自分たちらしさだし、「商業誌ではできない雑誌」のあり方だと思っています。

取材後記

「なんかモヤモヤする。でも、なにをしていいかわからない。というか自分、なにもチャレンジしていない。」

心のどこかでそう“気づいて”いながら、毎日をなんとなく過ごす人は一体どれくらいいるのでしょう。数年前に描いた未来はもう「今」になっているのに、まだどこか「運命的なことが起こって、人生に変化が起きるかもしれない」と期待している。しかし現実でそんなことはないと知っているから、モヤモヤする。

僕は個人的に、WYPのインタビューは編集部の皆さんにとって社会人になってからの「OB訪問」だったんじゃないかと思っています。「他人のなかにいる自分のかけら」を対話で見つけ出し、一方でその話に執着しすぎず自分を確立する。

一歩を踏み出すのは意外と難しい。でも、彼らの「その後」を見れば、「自分にもできる」と思えるのではないでしょうか。

【リトルプレスWYP】

ウェブサイト:http://wypweb.net/products/

この記事のつくり手
写真を撮ってくれたひと

写真を撮ってくれたひと:横尾涼|Ryo Yokoo

横尾涼|Ryo Yokoo

”写真の撮る際のコツやフォトスポットを紹介するメディアPhotoliの代表。写真を撮るときの悩みを全て解決し、クリエイティブを底上げするのが目標です。プライベートでは風景写真を撮りながらいろいろなところを旅しています。”

Twitter:@ryopg8 | Facebook:横尾涼

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