学校にいる時間は家にいる時間よりも長い。先生が生徒に与える影響は計り知れません。 誰しもが思い出の先生のひとりやふたり、いるのではないでしょうか。

でも、日本の教育は「詰め込み偏重」「ゆとり教育」など、多くの問題を抱えています。「教育のせいで日本の競争力が落ちている」と、言われることもある。今まさに、「先生と教育のあり方」が見直されるべき時期かもしれません。

「選択肢に溢れたミライをつくる」を自身のモットーに先生の教育活動をしているのが、「先生の学校」を主催する三原菜央さん。新卒から8年間、専門学校や大学で先生をやったのちに、ベンチャー企業を経て事業会社へ転職。広報・PRを本業の軸にする傍らで、週末で「先生の学校」を運営しています。

「先生の学校」は、小学校の先生からサッカーのコーチまで所謂「先生」と呼ばれる職業の方を対象に、「新しい時代のキャリアデザイン」、「クラウドファンディング」など、いかにも「先生が普段の生活の中では学べなさそうなこと」をテーマに月一回のイベントを開催する有志団体。他にも、少人数制のワークショップやFacebookでの情報発信を行います。

三原さんは「先生の良質なインプットが、生徒の選択肢を増やすことにつながる」と言います。時代が変化していくなかで、先生に求められるインプットとは。今回のHARESは、三原さんの教育への想いと「先生と教育のあり方」を伺いました。

いつも通りの自分、社会からしたら無知。先生は「先生だけ」をできても仕方ない。

―「先生」出身で大手企業に務めるビジネスマンは多くないという印象です。三原さんはどうしてファーストキャリアで先生になろうと思ったのでしょうか?

なんだろう…….。改めて答えるのは難しいけど、「両親の笑顔」かもしれません。

私の両親は、二人とも学校の先生をやっていました。今思い返して思うんですが、両親が苦しい顔をして働いているのを一度も見たことがなかった。いつもにこにこ働いていている姿を見て漠然と、先生って「いい仕事」なんだなと思っていたんです。

そんな原体験があったので、大学に進学してからは先生になるために、昼間は家庭科の教員免許や栄養士の資格取得のための勉強をしていました。余談ですが、夜間は専門学校でファッションビジネスを学んでダブル・スクールをしていたりもしたんです。

そして就職活動で、学校法人「三幸学園」に出会いました。三幸学園は、医療、スポーツ、美容、ファッション、保育などさまざまなジャンルの専門学校を展開しています。大学生活で学んできたことをすべて活かせるし、「ここしかないかも」くらいにはときめきを感じていました。

 

ーその後先生の職から離れ、事業会社への転職を考えたのはどうしてでしょうか?

当時私が勤めていた専門学校は、保育士や幼稚園の国家資格を取得する学校でした。生徒の大半の就職先が保育園や幼稚園、施設と、ある程度レールが決まっているんです。だから進路面談では、多くの生徒が保育園や幼稚園、施設のいずれかを希望の進路先として「いつも通り」答えていました。

そんなある日の面談、男子生徒が「一般企業に就職したい。先生のおすすめの企業を教えてほしい。」と私に伝えてきました。男性保育士の数は少ないし、保育士は給与水準が決して高いわけではない。だから保育士以外の道へ進みたい、と。

その時私は、次の言葉が出てこなかったんです。「どこの保育園に就職できるか」は相談にのれても、「その子にとってのベストな選択肢」を瞬時に答えることは愚か、「一般企業って何なのか」すら教えることができなかった。先生は生徒の未来を豊かにするためにいるはずなのに、教科書にのっていないことは教えられないなんて、おかしな話です。

それからというもの、自分が教壇に立っていることに、“疑問符”が生まれるようになりました。私が教えていることはテキスト通りだから、正しいはず。でも、もっと私が伝えないといけないことは他にあるのではないか、そう考えるようになっていきました。

そんなときに訪れたのが東日本大震災です。当時私は、早い段階でいろんな裁量を与えてもらっていたこともあり、全校生徒やそこで働く先生たちを指揮する立場に就いていました。余震が続くなか、卒業式をなんとか開催し、4月に新しい生徒たちを迎える準備に取りかかっていました。しかし「もしまた大きな地震がきたら、私はみんなを守ることができるのだろうか…」と、日に日に恐怖心が私の中に生まれていきました。私は、命を預かっているんだと。

そのとき「30歳手前」のタイミングで私は自分の人生に初めて向き合いました。自分と向き合うなかで、一度学校という場を離れ、リアルな社会を知りたいと思いました。資格があればいつでも教壇に戻ってくることはできる。少々、「逃げの選択」でもありました。ただ、今は、あのとき学校を離れ、社会に飛び込んだ選択は間違っていなかったと思っています。

「社会の役に立たない」なんて言わないで。座学にこそ、実学へのヒントがある

ー事業会社を経たものの、結果的には「教育」を軸に活動されていますよね。「先生の学校」を立ち上げるまでの経緯を教えていただけますか?

仕事にも慣れ、「社外でなにかしらの活動をしたい」と思ったとき、真っ先に思い浮かんだのは、「先生が社会を知らない」という教育現場の課題でした。

あるとき、キングコングの西野亮廣さんが「サーカス!」という教育イベントを開催することを知り、観に行くことにしました。「サーカス!」では【面白い先生ばかりが集まる学校】をコンセプトに、西野さんをはじめ、お笑い芸人からテレビプロデューサー、ドックトレーナー、女性起業家まで、さまざまな業界で活躍されている方が登壇されていました。本当に面白い先生たちばかりで、興味の無いような分野でも楽しく学ぶことができました。

そのときに先生を対象にした「サーカス!」みたいな場を創ることができたら面白いんじゃないかと考えたんです。「先生の学校」では、普段生徒に教える立場である先生が、「学校のカリキュラムにはない学び」を、勉強会やワークショップを通して学ぶことができます。活動を始めて1年以上経ちますが、これまでに小・中・高の先生だけでなく、サッカークラブのコーチや塾の先生まで、幅広く教育に携わる人が参加してくださっています。

実は、この「先生の学校」は私が卒業させた教え子と、元同僚を中心に運営しているんです。私は専門学校で教えていたので、新卒のときの生徒との年齢差は4つ程度。しかも彼らはハタチで働き始め、定年まで勤め上げます。そんな彼ら・彼女らにも「新しい世界」を見せてあげたい。学ぶのは専門学校や大学で終わりではない。「先生のためのアフタースクール」にしたいと思っています。

 

「先生の学校」は文字通り、「先生のため」の勉強会なんですね。でも、私は先生じゃなくても「先生の学校」のイベントに参加したいと思いました。

「先生の学校」を、先生たちにとっての「サードプレイス」にしたいと思っているんです。逆説的ですが、そのためにはむしろ、「先生以外の人」が来てくれることが必要なんですよね。

あるときの「先生の学校」のイベントで、高校の数学の先生と、一般企業でマーケッターとして働いている女性が隣合わせになったことがありました。その数学の先生が隣の席の女性に、「数学は社会で役に立たないから、生徒にもそう言って、笑い話をよくしているんです。」と声をかけました。

すると女性はそれ対して、「数学的思考がマーケティングでいかに応用可能か」をすらすらと説明し始めたんです。その先生は「自分が教えていることが、社会で活きる」ことを知り、本当に喜んでいたようでした。

「社会と学校教育がつながった瞬間」を見たときに、「自分がやりたいことはまさにこれをつくることだったんだ」と感じることができました。違う価値観の人同士で出会う場の方が、新しいものが生まれたときの相乗効果が高くなります。

だから、テーマは「アドラー心理学」「アントレプレナー教育」など、一般のビジネスマンでも面白い!とか学んでみたい!と思うテーマを設定しています。来場者同士で話せるよう、「隣の人と話す」「チームで何かをする」というアクティビティが毎回好評です。

「椅子に座って学ぶ」から卒業、「体験する教育」へ

今後「先生の学校」でどのようなことをやっていきたいですか?

一周年イベントを終え、やっと風向きが変わってきました。「感」でしか表しようがありませんが、たとえばFBで投稿した時にいいねがつく数が増えたりと、より「コミュニティ」としての要素が強まってきたように思います。

今後は、「一方的に教える」より「体験する」という主体的、対話的な教育にも携わりたいと思っています。昨年の秋、フィンランドの小中学校や、職業学校に大学、そして映画『かもめ食堂』に出てくる「森の学校」をまわる教育視察ツアーに参加しました。10名程度の参加者と毎晩、教育や日本の今後をディスカッションをして、旅が終わる頃には言葉では表現できないほどの充足感に包まれました。なので、2018年は「体験」をテーマにしたツアーを開催したいと思っています。

他にも、起業家精神を育む「アントレプレナー教育」を先生たち、そして子どもたちへ「プロジェクト学習」として提供していきたいなど、まだまだやりたいことはたくさんあります。

私のビジョンは「選択肢に溢れたミライをつくる」こと。私自身が新しいことをやり始め、転びながらここまでやってきて、1人ではできないことをいろんな人に支えてもらいました。なので今度は、「今、何かを始めたい」と思っている人の背中を私が押す。「先生の学校」のような場を他にもつくっていくことが、人に選択肢を提供できる一つの解だと思っています。

取材後記

こちらまで自然と心があったかくなるような素敵な笑顔…なんだか太陽みたいな方だな。お会いした瞬間にそう思いました。この笑顔に照らされて、何百人何千人もの子どもたちが学びを得ていたことでしょう。

教育は正しさや間違い、教養や規律を教えるだけではなく、人生の豊かさを教えてくれるものだと思います。思い返せば、日々新しいものごとに触れていた子どものころ、そこに面白さという視点を与えてくれていたのは、紛れもなく先生でした。あの頃に先生が教えてくれたたくさんのことが、歳を重ねた今もなお自分の心の奥深くにあるように感じるんです。それはきっとこれからも、よりよい人生になるように自分を導き続けてくれているはずです。

子どもはあくまでも教育を受ける立場。これからの教育をよいよいものにするためには、教育を体現でき得る立場である先生を第一に考えるべきなのだと感じました。
より豊かで幅広い考え方を吸収し続けるような志高い先生を増やすことによって、その教育を受ける子どもの未来がますます明るくなることでしょう。

そのためにも、「学校の先生」のような先生に学びを共有する場や、三原さんのような“先生”がもっともっと増えていって欲しい。そう思います。

 

この記事を書いてくれたひと

この記事を書いてくれたひと:村上さき|Saki Murakami

村上さき|Saki Murakami

97年生まれの女子大生ライター│埼玉県川越市出身│メディア、マーケティング、広告、広報PRなどを勉強中│WEBメディアがすきでオウンドメディアを立ち上げたり、紙メディアが好きで書店で働いたり│「自分らしさも相手らしさも引き抜いて、言葉を紡げるようになる」ために日々邁進中

Twitter:@sosm024 | Facebook:村上さき
写真を撮ってくれたひと

写真を撮ってくれたひと:小野 瑞希|Mizuki Ono

小野 瑞希|Mizuki Ono

1993年、東京生まれ。 日本大学藝術学部写真学科に入学し、写真をはじめる。 人の心に触れる写真を日々ゆっくりと模索中

Instagram:@miijukii | Tumbler:小野 瑞希

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